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2008/01/15

「天龍源一郎に思う!」の巻

Tennryuu 今回はプロレス・ネタです。

私が決める、ちょっと有名なレスラーで、

大きなタイツ(パンツともいう)を履くレスラー、BEST3.

第2位 天龍源一朗 

(1位は小橋建太、3位が長州力)

を御存知でしょうか?
  
相撲界からプロレスに転進。
今年の2月2日で、58歳になります。
まだまだ、現役!!

最近は、ハッスルで「頑固親父」な活躍をされてるみたいです。

ときどき、天龍を語りたい!

私は、天龍の生き様(リングの上の戦い)には、強い影響を受けて、ここまできております。
私は、プロレスラーではありませんが、自分の中で、人生はプロレスによく例えておりますので。
そこが、変人と言われる源かもしれませんが^^;。


さて、私が思う、天龍のプロレスラーの最盛期は、80年代中盤~90年代中盤あたりまでかなと。
これが、全盛期となると、2000年まで含むと思われますので、実に息の長いレスラーでもあります。
   

80年代後半、当時所属の全日本プロレスを面白くさせていたのは、間違いなく天龍でした。
当時、プロレスのことを、一番考えて、一番実践したレスラー。

天龍が、「熱いプロレス」を目指す上で、何をしても道が外れなかったのは、
御代ジャイアント馬場の人間としての懐の深さ、
対戦相手のジャンボ鶴田のレスラーとしての懐の深さ
も忘れてはいけません。

しかし、どこか、陰りのある雰囲気から、不満気な雰囲気に変わるまで、そうたいして、時間はかからず。

何をやっても変わらない・・・
天龍の胸中によぎったのかは、私の中の想像、想像・・。
   

90年、メガネスーパーがスポンサーのSWSに電撃移籍。
当然、天龍の扱いはエース兼社長
プロレス界初の、部屋別制度を導入したこの団体。
レスラーの大半は、新日、全日から引き抜きで連れてきた者。

ところが、レスラー間のいざこざもあり、わずか2年あまりで消滅。
結構、名だたるメンバーを集めながらも、集客数は伸びず。
ちゃんと練習、プロレスのことを考えて行動していたら、今でも名前を残せたはずの高野兄弟が、大金で慢心してしまったのが、実に惜しい。


当時、もっともファンに信仰されてた雑誌。

週刊プロレスの編集長ターザン山本のSWS批判も、多大に影響していたようにも思われます。

余談ですが、私も、ターザン信者でした。
熱が冷めた、でき事が1つ。
「オレはアントニオ猪木だ~」発言。
ちゃうちゃう、ターザンはレスラーじゃないじゃん!
自分に酔い過ぎてる!

ちなみに私、SWSの新潟開催に行っております。
当時の全日、新日よりも、SWSの演出は派手だったような気もしましたが、違和感もあったような覚えがあります。
派手な演出に、所属選手が似合っていない。
一体、何人のレスラーが、自覚を持ってやっていたのだろうか?
高額なギャラをもらいながらも、プロに徹しきれないレスラー達。

  
前途のとおり、逆風の中での興行。
「そういうときは、何をやっても、逆手に取られるもの」
今さらながら、私の人生教訓の1ページに書き留めておかないと。
   

SWS最後の興行で、試合後に、
「オレの力が足りないばかりに・・・」

下を向き、言葉に詰まる天龍。
まわりを囲むのは元全日のレスラー達のみ。
阿修羅・原のひとこと。
「冬木!源ちゃんを泣かすな!」

プロレス誌で↑を読み、泣けてきた私・・・

  
天龍よ、どこへ行く!

  

Tennryuu2

SWS崩壊後、このままじゃ終われない天龍。
ファンの期待に応えるべく、‘92年に団体「WAR」を旗揚げ。
  
しかし、メンバーが天龍以外、ネームバリューも弱すぎた・・・
故・冬木(後に大化けで、興行を助ける)、
北原(今は?)、
腰痛持ちでボロボロの阿修羅・原、
あくまでも天龍と同格を譲らない石川敬、
旗揚げまでは同調したグレート・カブキ。
見事に、ポチャレスラー達の揃った団体でした。

そこで天龍が仕掛けたのは、新日本プロレス。
‘92年末~‘94年東京ドーム猪木戦までがハイライトと思われる、この対抗戦。


私、‘93年の1・4ドームの長州戦、‘94年の猪木戦、どちらも、生観戦できました。
長州戦の、駆引き無しの度迫力ファイト。
特に、長州の殺気が凄かった!
(後の蔵前国技館?で1勝1敗の5分がプロレスらしさ、一杯^^;)

そして猪木戦での、猪木の卑怯な手口の数々
試合前に格闘技ルールを天龍に強要!
(まともにやったら勝てないからか)
チョークスリーパーで、ロープブレイクを無視して絞め上げ天龍を失神させたり、卍固めの際は、それまで頭にかけていた足を喉元にかけて締め上げ。
遠慮無しの得意のナックルアローを天龍の鼻元にぶち込んだり。

この試合で天龍が経験したことは、この後のファイトスタイルに多少反映されているようにも思われます。
でも天龍の「グー・パンチ」は、試合をつまらなくしたなと私は思うのですが^^;。
チョップ1本で良かったのではとも。
   

1連の対抗戦で私が1番好きな試合は、TV観戦ながら、‘92年末のWAR興行で行われた
天龍・北原VS越中・木村健吾のタッグマッチ
当時、レスラーもファンも最強と言われた新日軍団が、敵地WARに乗り込んできた1戦。

会場全体が殺気たっているのは、TV越しでもわかるくらい。
ポイントは、名前と同じ位、実力が足りなかった北原と、名前以上に実力があった木村健吾。
木村健吾が、新日でやられ役としての重責をはたしていたことが明確になった1戦でもありました。
試合は序盤から、北原がサンドバック状態。
当時、売り出し、乗りに乗ってる越中と、陰の実力者・木村の前では、良いところサッパリ。
コーナーで控える天龍の鬼の形相・・・
あの顔は、この試合でしか見れません。
これ以前も、これ以降も、天龍は、あんな顔を見せておりません。
(新日・永田の白目アームロック・・・・おふざけです!)

ここでオレが負けたらWARが潰れる!
自分が育った団体の全日魂もあったはず。
相手は、長州、藤波、越中、橋本、蝶野、馳等、新日の中堅ところが、大舞台で日替わり状態にやってくる!天龍包囲網。

とにかく「負けられない!」思いを背負っての新日勢との試合の数々。
ことごとく、相手の技を受けきっての完勝。
素晴らしかったです。
  
天龍源一朗、あなたは、全日ファンの誇りでもありました!。
    


この時の孤軍奮闘の天龍と、あのときの凄い形相の天龍を、今でも思い返すんです。

負けたら、アカン!  

 

  

Puroresu1_2 幾度となく励まされるのが、プロレスラーの入場テーマ曲。

特に、天龍の「サンダー・ストーム」には、転職の際にお世話になりました。

高中正義 ザ・レインボー・ゴブリンズ 

に収録されいます。
   
サンダー・ストーム、聴くなら、やっぱりオリジナル。
途中、高中さんの叩くドラムの「もたつき」もあるような気もしますが(^^;)
カバーでは出せない、雰囲気があります。

人生の折り返し地点も過ぎてしまいましたが、この曲を聴きながら、もう一丁頑張らなければいけないな~  と考えておりました。

  

  

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コメント

おはよう御座います。
記事で気になったのが・・・
故・冬木!!
『 えーーー!!』
全日の時とは似ても似つかない大きな身体
イエローのパンツを穿いて
ふてぶてしく笑みを浮かべ
奇声を発しながら
凶悪な技を繰り出す理不尽大王も・・・
2003年に亡くなっていたとは知りませんでした。
急にTVに出なくなったので・・・
落ちぶれたのかと思ってました。
見いて面白い冬木選手のプロレスも
プロレス団体が出来ては潰れを繰り返している
経営の難しさから戦えなくなってしまったと思ってました。
記事は天龍選手のでしたが・・・
こっちの方が気になってしまいました。
魅力的な選手がまた一人いなくなっていたとは・・・
残念です!!
では・・・

投稿: 銀犀 | 2008/01/16 08:15

天龍さんってもう何才なの〜???
私は19年前とか
毎週日曜日に観てたんだっ(日本テレビ)
木村健吾とかなんとなく覚えてる。。。
その後の源一郎さんの試合はちゃんと観てないけど〜
いろいろあったんだね。

CD持ってるんだ!!!
ブログのタイトルもそうだけど
ほんとプロレス好きなんだね♪

投稿: あんじー | 2008/01/16 18:24

銀犀様ありがとうございます。
冬木さんも、癌には勝てなかったんですよね。とても、残念ですよね。
天龍さんの影響もあったことと思われますが、とても親分肌の方で、自分の死が近い病棟に見舞いにきた、インディーの若手レスラーに、「遊んでこい」と金を渡したりもしたそうです。
病に倒れなかったら、自分のレスラーとしての位置よりも、プロレス界全体のことを考えてた冬木さんのこと。もう一華、咲かせられた気もしております。

投稿: よっちゃん | 2008/01/16 22:18

あんじー様ありがとうございます。
プロレス、好きでしたね~。鶴田、天龍、長州、藤波が全盛期の頃が、1番好きでしたね~。
今は「やらせ」が、世の中に浸透してしまった感がするのが残念でたまりません。
一歩間違えれば、「死」と隣り合わせの、実に危険なスポーツなのですが。
スポーツの香りがしないのも問題なんですよね~(^^;)


今は、裏方に興味ありますね。
いかに、あんじー様をカムバックさせるか(笑)

注・初めて、コチラのコメント目にされた方、ネタですよ~。あんじー様はプロレスと関係ありません。・・多分。

投稿: よっちゃん | 2008/01/16 22:26

よっちゃんさん はじめまして。
プロレス大好きなものです^^

寂しい時代になってしまいましたね(>_<)
自分が学生の時、全日を中心に応援してましたっ。
鶴田、谷津、天竜、川田、冬木、小橋、カブキ、ジョンテンタ、ロードウォーリアーズ、ハンセン、ブロディ、シン、シーク・・・あ~挙げたらキリがありません!!!
確かホークウォーリアーも亡くなられましたよね(@_@)

部活の前後によく”プロレスごっこ”をやってましたし^^
体力あったなぁ~今は・・・

投稿: かなりんパパ | 2008/01/16 23:50

かなりんパパ様コメントありがとうございます。
はて・・、どこかで、お聞きした、目にしたお名前かと記憶を辿りましたらわかりました。銀犀様のところで、すれ違っておりました(笑)。
あらためて、かなりんパパ様はじめまして。
私も小~中~高と学生時代、プロレスごっこに励んだ口です。

そして、私も全日派でした。
新日の「俺達が最強」みたいなノリは嫌いでした。
中でも、ジャンボ鶴田が1番好きだったのですが、ジャンボには「本当は、もっともっと強いのでは?」という幻想を、病で倒れるまで持ち続けました。
ホーク・ウォリアー亡くなりましたよね。ブロディー、シーク、キラー・トーア・カマタ、ジョン・テンタ、デイビーボーイ・スミス、テリー・ゴディ、亡くなられたのが本当に残念です。
中でも、最大の衝撃はブロディーでした。
当時、東京に住んでおりまして、大井のナイター競馬に行く電車のなかで、おじさんが持っていた東スポにデカデカと。
あのときの衝撃は、今も忘れられません。
亡くなる前の最後の最強タッグ。
ハンセン・ゴディVSブロディ・スヌーカ
試合は両者リングアウトと内容は凡戦なれど、あのメンツをよくぞ、1つのリングにあげたなと。

長々と、ウッカリ(^^;)語ってしまいました。

今度、コチラからもオジャマさせてください。


投稿: よっちゃん | 2008/01/17 19:00

よっちゃんさん こんばんは。

銀犀さんのジオログでニアミス?してた
んですね^^

なんとなんと!私もジャンボ(鶴田)派でして^^
あの岩石落としは今も健在だったら絶対最強!
と思っています。
亡き馬場に代わり、次世代はジャンボが背負うと思っていた
矢先の渡米。
リングで行われたセレモニーを食い入るように見ていたのがつい最近のよう...
まさか病魔が近寄っているとは思っていませんでした。

鶴田・谷津vs天竜・阿修羅原 あの構図はたまりません
でしたねっ。
ヘッドギアの谷津が攻撃されるのをもう一度見て
みたかった(違)

ハンセン・ゴディVSブロディ・スヌーカ・・・
トップロープからのブロディの跳躍、残像くっきりと~
皆実力者ですよ・・・ピンフォールなんて有り得ない!
凄過ぎる^o^

では~また。

投稿: かなりんパパ | 2008/01/17 22:28

かなりんパパ様ありがとうございます。
鶴田・谷津vs天龍・阿修羅原 これも名勝負でしたよね~。
TVで見てて、天龍のコメントが紹介されてたんですが、
「あいつら2人はナマコだ!」の言葉。
いくら叩いても、立ち上がってくる「しつこさ」(笑)。

馬場さん亡き後の全日は、三沢が辞めたことからも、実に不透明な裏劇場が浮き彫りになりましたよね。元子夫人が、後年、武藤に全権譲ることを、なぜ、三沢にできなかったのか?ジャンボを、馬場さんの次の社長に置けなかったのか?(体調面もあったのかもしれませんが)。
今の全日の、最強タッグには全然興味なかったりします。

鶴田VS天龍は、長州VS藤波を越えていたと、私は思っております。

かなりんパパ様も鶴田ファン!
妙に(?)嬉しいです♪

投稿: よっちゃん | 2008/01/18 00:37

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