« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年9月の2件の記事

2011/09/11

「椎間板ヘルニア日記」の巻

今回の記事は、今年の夏、最高に苦しめられて、今も完治していない

椎間板ヘルニアの記録。

もともと、腰に不安があって、ウォーキングを取り込んだり、少々の運動(エスカレーターでなく階段、等)は常に意識して、ここ2~3年は、腰痛が起きても軽度のものだったのですが。
私の職種は製造。
重い物も持つものの、経験上から、ひとりで40K以上は持たないことを自分のルールとしていたのですが、このルールを、サッサとやめておけばよかったと思うのは、後の祭り。

悲劇は飲み会から。

5月28日(土)
夜、飲み会。
会では何事もなく。
しかし、帰りに雨がシトシトと。
小降りだったので、そのまま濡れて帰る。
当然、体は少し冷えたであろうも、このときは、腰に違和感無し。
家に着いて、お風呂に入って就寝。

5月29日(日)
朝、腰が少々重いのを実感するも、午前中、そのまま息子の少年野球の練習へ。
前日の雨が止まず、この日は室内練習。
できることはやりたいなと、いつものとうり、子供達に混ざって、ダッシュの練習。

これがマズかった!

腿上げダッシュの際、自らの振動で腰に痛みが走る。
今回の痛みは、過去の腰痛と違い、差してくる痛さ。
以後練習中断。

5月30日(月)~

痛みの中でも、差す痛みはおさまり、動くと痛いものの、仕事へ。
1週間もすれば、治まってくるだろうというのが、当時の気持ち。
塗り薬はかかさず。

6月8日(水)~
腰痛発生から10日目。
調子が上向く気配がなく、過去何度かお世話になった整形外科へ。
レントゲン検査、触診。
そのときは、まだ歩けることと、脚への痛み、足先への痺れがなかったため、筋肉痛と診断。
実際、このときはまだ、その範囲内だったと自分で今も納得。
いつもより酷い痛みのため、無理はしないようにとの言葉をいただきながらも、仕事と週2回のランニングも休まず続けたのは、愚の骨頂。
走る、歩くことを止めると、逆に悪化するのでは?と考えてました。
処方された飲み薬と貼り薬の開始。

6月13日(月)~
痛みが右膝まで。
痛み止めで出された座薬を使用開始。
通勤途中の車の運転が厳しく。
普段感じない、むしろ良いと思われていたディオンのシートクッションが低く沈み込んでいく感覚。
段ボールを敷いて、座席の背を立てての運転。
それでも、仕事を休む度胸がなく・・・直るものと。

6月17日(金)
上司から、「ちゃんと医者にかかるように」と、心熱い注意。
整形外科で相談、MRI検査の手続きへ。

6月21日(火)
この頃になると、正座はもちろん、あぐらをかいて座ることもできず。
食事は椅子に座って。

MRI検査結果、椎間板ヘルニア。
骨核がまだ飛び出さない膨隆型のヘルニアで、右側に隆起して神経を圧迫。
「まだ、保存療法で直る範囲と思われますが、診断書書きますか?」
無理をしなければ直るものと自己判断、
「会社と相談してみます」

温熱、低周波治療の後、ストレッチの指導を受けるものの、まともにできず。
普段の姿勢の悪さ、動きの癖を指摘されて、それも妙に納得。

6月22日(水)
経緯を上司に報告。
無理しないで様子見ながらでと、有り難き言葉をいただき、仕事続行。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6月24日(金)
朝起きれず!
人生で初めての経験。
1年6カ月、無遅刻無欠勤の記録が途絶える・・・・
それでも、日曜日明けには復活できる気でいたのですが。

食事も、この日から寝ながら。
苦しかったのは意外に、トイレよりも、お風呂。
とにかく湯につかっている姿勢が維持できず。
そして、風呂上りに痛みが増して、下着もつけられず。

6月26日(日)

布団の中からPC経由で競馬。
こんなときでも競馬な自分(^_^;)。
宝塚記念。
間違って買った馬券に救われる。
ちなみに、休み中に僅かに参加した競馬の収支はプラス。
人生、そんなものなのかもしれません。

6月27日(月)
状態上向かず、1分以上立っていられない。
病院の先生のひと言が、自分の焦っている気持ちを落ち着かせてくれました。

「仕事、休みましょう!」

運動神経は高くないものの、丈夫なことには妙な自信があった私。
その過信が、ここまで酷くなった要因のひとつ。
今は思い切って休まなきゃダメなんだ!
実際、全く、動けなかった・・・

3週間で復帰見込みの診断書作成。
温熱、低周波治療、痛み止めの注射。
注射は2日に1度、10日ほど続けました。

6月27日(火)
会社に診断書提出、嫁の運転で。
後ろの座席で、寝ながら見える窓の景色は、青空ばかり。
ひょっとして、残りの人生、寝たきりで過ごすんだろうか。
考えることは悪いことばかり。

7月1日(金)
寝たきりで1週間の間。
気晴らしに家にあるマンガ、少女マンガまで読破。
「花より男子」・・・ちょっと、ありえないよな~

「これは手術か~」
整形外科病院の先生に相談。
「決めるのは私でなく、あなたです!」
初めて、この先生に怒られる。
決めるのは私!
それはわかるが、手術が必要かどうかの境界線がわからず相談したのですが、伺いかたが悪かったのか?
とりあえず、手術を前提に県立病院への紹介状をつくっていただく。
「向こうが混んでて、7月7日の予約になります」
予約日が翌日だったとしたら、手術していたかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7月4日(月)
どうしたことか、調子が上向く。
まだ歩けないものの、立てる時間が長くなる。
「おお!なんとかなるんじゃないか!」
この日から座薬の使用を止めて、飲み薬、貼り薬のみへ。

体重計に乗ったら5K減。
筋肉が落ちたのを実感。

7月7日(木)
県立病院診断。
「整形外科への通院を続けながら様子見しましょう」
この日まで、かなり歩けるまで復調できたのが幸い。
病院の帰り、嫁と運転を替り、実に2週間ぶりのハンドルを握る。

7月14日(木)
3週間の診断書は、この日まで。
状態は、歩けるものの、長時間立つには自信無く。
重い物を持ち切る自信もまた無く。
会社と病院に相談して、もう2週間の延長で診断書提出。
時期的には、夏まっさかり。
暑いピークの中、頑張っている同僚に申し訳ない気持ち。

7月16日(土)
財津さんコンサート。
行ってる状況ではないのではないか?自問自答。
行かないで後悔か、行って後悔か?ネガティブな考え方ですが、行くことに。
財津さん、ありがとう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7月29日(金)
職場復帰~現在。
夜に貼り薬のみ。
まだ、腰に鉛が入っている感じがあるものの、なんとか今日まで。
休んでいる間に、会社は節電対策協力で休日が変則シフト。
さすがに、8月6日の夕日コンサートは休めずで(^_^;)。

体重が戻ったのが残念(^_^;)。

今後の教訓として生かしたいこと。

痛み発生時は、とにかく動かないこと。
ネットでも調べた腰痛体操は、ある程度、動けるようになってから。

お風呂でなく、シャワー。
体を温めるのは、ある程度痛みが引いてから。

いろんな思いをした5週間で、今年の夏はわすれられないんだろうな~と。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

 

 

 

昨晩、夢を見ました。
夢の中では足を引きずって歩く私、と会話をしたのは亡くなった9つ上の従兄。
そして、なぜかもう一人、まだ生きている私の兄貴。
夢の中で2人は心配してくれてました。

ありがとう。

家族にも感謝です。

TREview 腰痛の上、脱毛も止まらない中、励みにしております。

| | コメント (6)

2011/09/01

「FMWの世界 恐いケンドー・ナガサキ」の巻

時代は1990年。
  

初期のFMWで

テキサス・ストリートファイト・マッチ

なる内容で実現したのは、

 

大仁田・T後藤 VS 栗栖・ドラゴンマスター(ナガサキ)

の殺伐とした一戦。
 

なんといってもココで輝るのは、

セメントが強い! 

と噂の、ケンドー・ナガサキの存在。

全日時代では、大仁田、後藤の大先輩にあたり、海外での修羅場もくぐり抜けてきた男。

日プロ時代、上層部の命令で、あのアントニオ猪木を潰そうとした男。
(道場で待ち伏せするも、その日、猪木は道場にこなかったらしい・・とのこと)

[プロレス黄金時代] ブログ村キーワード

 

 

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

1990年、当時の年齢。

 

大仁田厚  32歳

 

ターザン後藤 26歳

 

栗栖うんこ 43歳

 

ケンドー・ナガサキ 41歳

 

財津和夫 42歳・・・・

TREview 励みにしております。

| | コメント (2)

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »